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礼拝
森崇

常盤台バプテスト教会 2026.3.8. 主日礼拝 ヨハネ福音書講解㉜「死に打ち勝つ祈りの力」森崇牧師【ヨハネによる福音書 11章28~44節】(新共同訳 新約P.189~190)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                 
招詞    詩編 37篇23~24節   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生91番「恵みのひかりは」
主の祈り
献金感謝
聖書    ヨハネによる福音書 11章28~44節
特別賛美  
宣教    ヨハネ福音書講解㉜「死に打ち勝つ祈りの力」  森 崇牧師
祈祷
賛美    讃美歌21 575番「球根の中には」
頌栄    新生669番「みさかえあれ(B)」
祝祷
後奏
宣教概要
  世の中に、完全な信仰を持つ人はいません。むしろ欠けだらけの存在であるからこそ、信仰を持つのです。その信仰も揺れや、ぶれがあって良いのです。
マルタは兄弟ラザロが病気になった時、姉妹マリアと共に主イエスを呼びます。しかし、彼は死んで葬られ、イエスが来たのは墓に葬られてから四日後でした。マルタは愛するものを失った悲しみと、来るのが遅れた主に対する憤りを持っています。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でもかなえてくださると、わたしは今でも承知しています」(21,22)この言葉は遅れたイエスに対する皮肉と非難です。主イエスが「あなたの兄弟は復活する」と言われても、マルタは終末の日に全てのものが裁きを受けるための復活のことは存じていますと言いました。イエスは「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる」(25)と告げました。これは「私こそが」という強調です。しかしこの主イエスの宣言はマルタの心に響きません。マルタは、「ええ…信じてきましたけど」という諦めの告白をします(27,田川訳)。マルタはイエスとの対話を終わらせるように家に帰り、マリアをこっそりと呼びます(28)。ヨハネ福音書はこのマリアを「主に香油を塗り、髪の毛で主の足を拭った女」(2)としています。先に登場人物の紹介をするのは、ラザロの復活に対する深い感謝と愛の応答を先に示しました。マリアは来るなり、その足元にひれ伏して主を拝し、マルタと同じ言葉を言いました(32)。同じ言葉でも、感情は違います。マルタは憤りから、マリアは涙と悲しみから。この二人の姉妹のやり取りに、主イエスの霊は深く突き動かされました。「心に憤りを覚えた」(33,38)とは直訳で「激しく息をつく」です。「興奮して」とは直訳では「かき乱す」ですが、特にヨハネ福音書の後半には十字架の苦難の関係性の中で語られる言葉です(12:27,13:21,14:1,27)。すなわちイエスはラザロの死をご自分の十字架と重ね合わせ、激しく慟哭しました。
「イエスは涙を流された」とは、マルタとマリアに対する深い憐れみの涙でした。死は終わりではなく、命の始まりであることを知らない女性たちへの涙でした。ラザロの墓を開こうとするイエスに対して、心の堰が崩壊するように、マルタはついに言います。「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」(39)マルタは冷静に現実の実態を告げます。信仰と現実の乖離。それは誰の心にも起きます。しかし主は、「もし信じるなら神の栄光が見られると言っておいたではないか」と言い、人々に墓の石を取り除けさせ、目を上げて天を仰いで祈られます。マルタの嘆きはイエスの祈りの言葉へと変えられます。主イエスは、兄弟ラザロの復活のために祈ります。それは神の栄光が顕され、主イエスこそが復活であり命であられることを群衆が知るためです。主イエスはマルタが諦めるよう呼びかけた、腐臭が漂い、死の匂いに満ちたところに向かい、大声で叫ばれます。「ラザロ、出てきなさい」「死者よ」ではなく、ラザロ個人の名前を呼びます。その声は死んだ者の耳に届き、再びラザロを生き返らせ、復活のいのちを備えました。これがどれほどの衝撃ある出来事だったのかを記すために、出てきたラザロは手も足も顔も布で覆われていました。「はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる」(5:25)と主イエスは言われます。ラザロの復活とは私たちのいのちと無関係ではありません。暗闇の中にいた希望無き者の墓は主イエスとその声に従う人々の手によって開かれ、そして主イエスの祈りと声が響く時、よみがえりの命は与えられるのです。「ほどいてやって、行かせなさい」との人々への呼びかけは、教会に向けられてのものです。教会は主イエスの声に従い絶望の墓を開け、復活した命を喜んで受け入れる場です。そこに主イエスの死に打ち勝つ祈りの力が共にあります。